園だより(2026年 6月号)
6月水無月、水の月、環境保全と人々の思い
5月に子どもの日や母の日、玉ねぎ掘りなどで様々な体験をした子どもたち、季節は進んで6月、水無月に入りました。今は新緑の季節も過ぎ、青葉の季節、木々は青々となり、いかにも「生気みなぎる」という感があります。そして、そこに雨、ジメジメとした雰囲気の雨と緑の季節、こんな中でも、6月の日本の深い魅力を発見したいものです。今月は夏至があり、梅雨もやってくる。七変化のアジサイが大輪の花を咲かせ、あやめもそれに負けじと頑張っている。田植えが始まり、渡り鳥の燕がその上をすごいスピードで飛んでいく。子どもの大好きなカブトムシが現れ、田んぼではカエルが鳴き、蛍が飛び始める。メロンやサクランボが店頭に並べられ、アスパラギン酸豊富なアスパラガスも無視できない。勿論、母の日の次は父の日、日ごろのお父さんの働き、優しさに感謝、見落としがちなお父さんにも大きなスポットライトを当てましょう。
幼稚園には様々な木々を植えています。葉を落とした落葉樹がいつのまにか、たわわに緑に葉をつけている。教えられなくても、その変化が自然と子どもたちの頭に入っていく。非認知能力も自然と身についていく。集会で梅雨のことを話した。水の大事さを知ってもらうために。外で遊ぶことができないので、雨を嫌がる子どもが多い。水がなかったら、田んぼにも水がなく、米を作れないこと、牛をはじめ、豚も鶏も生き物は全て生きることができないこと、そして、人の体の70%は水であることを伝えた。兎に角毎日毎日雨が降るのは嫌だけれども毎日晴れでもダメなことを話した。子どもたちはその時はわからなくても、頭の片隅のどこかに断片的な知識が残っていて、大人になれば十分理解してくれることだろう。新緑に生えるケヤキ、ほうき状に成長するケヤキは街路樹にもよく植えられている。また、材木としてもその木目が高級感にあふれている。老人施設にも何本かの大きな欅の木がある。私の好きな木の一つで、子どもが生まれたときに記念樹として植えたこともあった。泉北のある住区にケヤキが街路樹として、40年以上前に植えられ、今は大樹となって、道の両サイドに美しい緑を提供していた。それが最近バッサリと全部伐採された。今までの道が広く感じられた。落ち葉の問題、倒木の問題、日当たりの問題、役所の予算の問題、係争問題等、様々な問題があるのだろう。第三者的に見れば、人との共生、共存は不可能だったのだろうか。最近の新聞に街中の木陰が縮小しているとの報道があった。国内の街路樹はピークから50万本減った。木の枝葉が地面を覆う面積割合は東京では7.3%に低下した。ニューヨークの23.4%,パリの17.6%と比較すると顕著だ。高度経済成長期に増えた街中の木々は寿命を迎えつつあり、倒木が相次いだ。その中でハナミズキは街路樹として人気だ。成長が遅く、枝切りの費用は安いが、木陰は小さい。海外の主要都市は夏の猛暑対策として、樹木を生かす街作りに舵を切る。樹木は気温上昇を抑えるだけでなく、水を蓄えることで防災に役立ち、よりよい景観は都市の価値向上につながる。木の持つ力を十分に活用した持続可能な街作りへの転換が求められると結んでいる。伐採は役所を含め、住民の皆さんの苦渋の決断だったのだろう。西洋では自殺したら木になるとよく言われる。そんな木が伐採された。なんと表現したらいいのだろう。後に植えられたハナミズキのきれいな花を期待したい。
宮沢賢治「風の又三郎」より。誰の人生にも心の中に風が吹く瞬間があります。不安や希望、喜び、悲しみ、様々です。しかしどのような風もその人を深い場所へと導き、成長させてくれるのです。私たちの日々にも思いがけない風が吹き込むことがあります。突然の別れ、予期せぬ出会い、心を揺らす出来事、それらは全て見えない導きの一部なのかもしれません。その風に対して私たちは心を開いていくのか、閉ざすのか、恐れるのか、それともそっと耳を澄ませるのか。風に身をゆだねるとき、そこに目に見えない誰かの優しい眼差しを感じる事ができます。そして私たちは少しずつ新しい方向に運ばれていくのです。悲しみで胸がいっぱいのとき、孤独に押しつぶされそうなとき、道に迷って立ち止まるとき、そこへそっと吹き込む風のような慰めが私たちを包むことがあります。その瞬間、私たちは見出すのです。「私は独りではない。見えない風のように大きな力を持つ誰かがいつもそばにおられると」。今日、あなたにどんな風が吹いているのでしょうか。不安を運んでくる風かもしれません。あるいは新しい希望を告げる風かもしれません。そのどちらであったとしても、風はあなたを深い場所へと導こうとしてくれます。
もうすぐプールも始まります。元気いっぱい、この6月を楽しんでいきましょう。